姫路

共著している冊子を構成する紙を買うために、姫路のでっかい画材屋へ向かいました。この画材屋へ行くのは生涯で2度目です。我が家の近所にはない規模のお店で、体感的にはだいたいIKEAとか東京ドームと同じぐらいの大きさです。奥の方にキャンバスがあったり、水彩画用のでっかい紙を置いているコーナーがあって、その横には印刷用紙を置いているコーナーがあります。我々が目的にしているのは殆どその紙モノのあたりなので、他に何が売っているのかをよく知りません。印刷用紙は大体手頃な価格で売っていますが、中には1枚80円もする蛍光色の紙などもあり、僕のような貧民には買うことができません。あとインクが載らない金色・銀色の紙もあったんですが、なんせインクが載らないので使い所に悩み、買うのは控えました。質感の違う4種類の紙を20枚ずつ、合計80枚買ってレジに向かうと、レジの女性が枚数の確認を始めました。僕は「今回僕が選んだ紙はどれも滑りやすいから、この女性はご自身の指をペロッと舐めて『指お湿り(ゆびおしめり)』の状態を作ってから数えるにちがいない」と思い込んでいたのですがその女性は指を湿らすことなく正しい枚数をカウントしました。いささか寂しかったですが、もともと手指が湿りやすい方だと仮定して、興奮するように努力しました。難しかったです。

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神子畑選鉱場は見学ポイントは少ないながらも見ごたえのある場所でした。敷地内にある「ムーセ旧居」は鉱山稼働中に実際に医療所として使われていた西洋の館です。天井の高さや窓ガラスのテイストなど、日本らしくないポイントがいくつもあります。そういえばダリオ・アルジェントが監督した「サスペリア」という映画はバレエの学校が舞台なのですが、幼い主人公を演じるキャストの背丈を低く見せるため、わざとドアノブなどを高い位置に取り付けたセットが作られたそうですが、この話とは特に関係ありません。建物の中ではチャキチャキしたマダムがスタッフとして幅を利かせています。選鉱場周辺の模型をしげしげ眺める僕らに逐一説明をしてくれました。「当時は映画館が1軒あり、鉱員にとっての娯楽施設はそれしかなかった」とマダムが教えてくれました。同行した知人はその場では「そうなんですね」と相槌を打っていましたが、マダムと別れて外に出て、上空で旋回する鷹を見つめながら「ぜったい風俗店もありましたよね…」と言いました。僕は「そうですね」と相槌を打ちました。
ムーセ旧居から少し歩いたところに「神子畑小学校体育館跡」があります。明治33年に創立した小学校で、最盛期には200名以上の子どもたちが通っていた学校があったらしいですが、現在は体育館と草ボウボウのグラウンドしかありませんでした。体育館は資材置き場か何かに使われているのか、ブルーシートをかぶせられた何かがゴロゴロしていました。我々は板の割れ目や穴にレンズをあてがって内部を撮影しました。のぞきの手法で撮影された内部は、おぼろげながらそれなりにキレイでした。

 高知市から高速道路と一般道を使って片道3時間、南西へ約150km進んだ所に「足摺半島(あしずりはんとう)」という地があります。電車の走っていない地域のため、自家用車以外でのアクセスが割と困難なこの半島の一番南には、1972年に足摺宇和海国立公園に指定された、四国最南端の地ともよばれている「足摺岬」があります。1949年には、同名の小説を田宮虎彦が発表しました。「自殺を計画した主人公が岬へ向かうが、天候の悪化でそれを諦め、旅館の人々との出会いで思いとどまる」という内容の話です。自死をテーマにした内容のためか、この小説がきっかけで一時期は自殺者が増えたこともあるとのこと。岬には自殺防止を呼びかける看板も立っているそうです。

 つい先日、精神状態が不安定な状態でこの小説を読み返した私は、現在の精神状態でこの地に行くと、果たして自分はどのような行動をとるだろうか、とフト考えました。不安定な状態で自死について考えるとその考えは止まらず、それからの数日間は足摺に想いを馳せたり、行旅死亡人と全国各地の半島との因果関係を調べたりする毎日でした。そんなことばかり調べていると気持ちが落ちてくるので、いちおう観光という体で「足摺」という地について調べていると、今まで見たことの無い衝撃的なフォルムの建物や謎の風景が続々と出てきました。さらに「足摺」をタイトルに掲げる漫画を見つけて購入。貪るように読みました。そんな足ズリ狂いになってしまっていたある日の夜、まだ訪れてもいない足ズリの光景が夢の中に出てくるまでになりました。おぼろげな記憶ですが、ぼんやりとした海岸線の手前に、ネットで調べた衝撃的な建物が蜃気楼のように浮かんでいるような光景でした。それでいよいよ、足ズリイキを決意したのです。

 前述の夢を見た翌々日、朝6時に一人で自宅を出ました。その日の自分は朝から自暴自棄になっていたので、高知の果てで果てても構わないといった心境で、ガソリンも入れずに出発しました。瀬戸大橋を渡って香川を通り過ぎ愛媛を通り過ぎ高知市を通り過ぎて高知自動車道の終点に着くと、そこは四万十町という場所でした。すでに私にとっては未知の場所ですが、目的としている場所はまだまだ南にあるようです。海岸沿いの道をひたすら南下していると、サーファーが喜んで飛びつきそうなロケーションの浜辺を見つけました。立ち寄ってみると案の定、複数のサーファーが海の上でボードに乗って好き放題やっています。駐車場にはハイエースなどのワゴン車が等間隔に停車していたので、サーフィンに飽きた連中が、トランプや談笑などをヤり放題やっていたかもしれません。

 ハイエース内の情事を妄想しながら、合計5時間の孤独なドライブを経て目的地の足摺に到着。駐車場に車を停めると、民宿や食堂・土産物屋などが立ち並ぶ光景が眼前に広がります。土産物屋に立ち寄ってみましたが、鍵は開いているものの、店内には客も人もおらず、声をかけても返事が返ってきません。そばにあった「珊瑚博物館」という建物は、竜宮城という大仰な名前を掲げた絢爛豪華な様相だったのですが、何年も前に運営中止したとのこと。立派な外観には蔦が生い茂り、風雨にさらされて廃墟と化しています。それらの風景は、今の私には「時代に取り残された」趣ある風景というよりも、「人為が堆積して放置された」ダメな風景に見えました。

 土産物屋のエリアを抜け、正気の沙汰とは思えない造形の岩がゴロゴロと並ぶ海岸をてくてく歩くと、ついに夢にまで出てきた衝撃の建物「足摺海底館」が目の前に現れました。太平洋の海中からニョキッと突き出た建物は、四方が覗ける潜望鏡とでも言えばいいのか、例えることが難しい独特のカタチをしています。白と赤のカラーリングも鮮やかで、赤い先端部分は四方向に分かれています。そのうちの一つからは桟橋が伸びていて、訪れる人たちを中へと誘導しています。中に入ると下へと続く螺旋階段があり、降りたところは、丸い窓が並ぶ海中展望施設になっていました。

 到着して数十分もの間、私は入口へ続く桟橋を渡ろうとせず、奇妙な岩が並ぶ海岸から赤と白の奇妙な建物を眺め続けました。私は建物を見て泣きました。比喩ではなく涙を流したのです。いまこうして自分が見ている建物が、あの日夢に出てきた光景の中にあった建物と、寸分の違いもなかったからです。泣いた理由はそれだけではありません。このへんちくりんな建物が、私が生まれるずっと前からこの僻地みたいなところでおっ建っていて、実に40年以上も、この姿で、ギンギンで、ビンビンで、ある。という当たり前のことにバカみたいに感動してしまったのでした。建物を見て泣いたのは生まれて初めての経験です。

 そして泣きながら同時に、興奮を覚えていました。その造形のほのかなエロチシズムにあらゆる欲望が呼び覚まされたのです。可愛らしさとエロスに加え、堂々さも兼ね備えたたくましいフォルムの海底館。「こんな建物にナマで出会ったら、私だったら海に入る前からビキニが濡れてるわ」と、私の中のバザロバ・ナタリア氏(世界青少年の会 議長)がつぶやいています。もし今後どこかで「あなたの思うセックスシンボルは?」という質問を受けた場合、私はためらわず「足摺海底館です」と答えよう、そのように思いました。たとえセックスシンボルの正しい意味から外れているとしても、私のセックスシンボルは四国の南の僻地で、珍妙なカタチをしてギンギンでビンビンなのです。

 ひとしきり泣き濡れてフンコーした私は、この後予定していた足摺岬への訪問を辞め、帰宅することを決意しました。つまり足ズリの先っぽで果てる前に満足してしまったのです。蹌踉(そうろう)として自宅まで帰りました。

 だから足摺岬には行っていません。ゴメン。

風が強く吹いている日、なんとなく外に出るのが嫌で布団にくるまってたら、いつの間にか夕方になっていた。洗濯やトイレに立ち上がっているので断続的ではあるけれど、15時間眠ったことになる。普段の休日は、なぜか平日より早く起きることが多い。これに関しては強迫観念みたいなものなので半ば諦めている。この日は珍しく長時間眠ることができたので、時間を無駄にした気持ちよりも達成感のようなものが勝った。以前に友人に教えて貰った話で、その友人が大学時代に入っていたサークル内に「眠り姫」という女性がいたらしい。なんでもほとんどの時間を睡眠に費やしている女性で、この話を膨らませようと思ったんですがあまり覚えてないのでこれ以上は書けない。ごめん。
睡眠のしすぎで頭がぼやけた状態のまま外に出ると、すでに西日が傾いていた。何の成果もなく終わろうとしているこの一日に、何か価値をつけたいと思ってあてもなくうろついていると、近所の運動公園のグラウンドで少年野球のチームがミーティングしているところに出くわした。しばらく歩いたところに古本屋があり、特に探しているものもないのだけれど入ってみたら50%OFFセールの表記があった。しかしよく見ると50%OFFセールの開催日は来週だったので、目星をつけるだけにとどめて1冊だけ本を買った。店内物色中、店主のオヤジが古本をごっそり持ってバックヤードに消えていくのが見えたので、貴重な本はセール日には出ていないのだろう。昨年の秋ぐらいから買おうか悩んでいるダダの本が来週店頭に出ていれば、この機会に買ってしまおうと考えている。
古本屋を出て、普段通らない住宅街を抜けてスーパーマーケットへ行き、期限の近いバターを安値で買った。家に帰って釜バターうどんのようなものを作ったけどあまり美味しくなかった。調べると「うどん玉」で作ると不味く、「冷凍さぬきうどん」で作ると劇的に美味いものになるらしい。奥が深い。

夜は20時に布団に入って、21時ぐらいに眠った。前述の15時間に、日付が変わるまでの3時間を足して、この日は1日のだいたい4分の3を寝て過ごしたことになる。

スーパーマーケットで半額になったホッキ貝サラダを買った。俺はホッキ貝が好きなので、298円のサラダが149円で買えるのは単純に嬉しい。パッケージにはサラダのイラストが描かれたシールが貼ってあり、それを構成するラインナップが紹介されていた。「カナダ産ホッキ貝」「イカ」「カラフトししゃも卵」「ヒトエグサ」とある。
聞きなれない「ヒトエグサ」という名称が気にかかった。見るとヒトエグサはイラスト内の緑色の斑点を指している。野菜の可能性も考えたが、おそらく海藻だろうと思い、ネットでヒトエグサを検索した。検索結果は予想どおり海藻で、「アオサ」とよく似た海藻のことで、というかほぼアオサのようなものだった。調べる前に瞬間的に浮かんだ「私の頭の中のヒトエグサ」は、海に群生しているヒジキのような太い水草だったのだけれど、全く違うものだった。
サラダは濃厚で非常に美味しかったので、また買おうと思う。産地の記載の有無が半々なのは何故なのかについては、調べてないので謎です。

好きな食べ物を聞かれたときに「焼きそば」と答えている。

通常、好きな食べ物の質問で「焼きそば」を答える人があまりいない為か、それなりにインパクトを残すことができる。数年前の呑みの席でさりげなく言っただけでも、未だに覚えてもらえている。「焼きそば」って言葉に少しマヌケな感じがあるのも良いですね。あとは味のバリエーションや作り方など、話題をふくらませやすいのも有難い。先ほど「好きな食べ物で『焼きそば』を挙げる人物があまりいない」と記述したが、著名人ではダウンタウンの浜田氏、架空の人物ではドラマ「池袋ウエストゲートパーク」のマコトが焼きそば好きを公言しているので、その部分を指摘されればお笑いやドラマの話に流れを変えることもできる。あんまりやらないけど。

高校生の頃、友人と出かけた先にあった寂れた商店街で「ごっつええ感じ」のVHSの7巻を購入した。時が止まったような商店街に時が止まったような電気屋があって、背が日焼けした時代遅れのVHSを現役で売っているのが衝撃的だった。VHSデッキは持っていないのだが、リビングにあるDVDプレイヤーがVHS再生機能を備えているため、深夜家族が全員寝たあと、薄暗いリビングでダビングをしながらひとりそれを見た。サラリーマンクルーズ、みすずちゃんなどのコントを見ながら、買ってきた「明星一平ちゃん 夜店の焼きそば」の塩味を作って食べた。当時はあまり夜食を食べる概念がなかったので、コソコソと食べた経験も含め、その焼きそばの味は今でも覚えている。塩ダレはほんのりレモン味で、辛子マヨネーズを混ぜて食べると恐ろしく美味しかった。あまり美味しかったのでそれ以来、前述のダビングしたごっつの7巻を見ると今でも塩焼きそばの味が頭に浮かんでしまう。たまに一平ちゃんの塩焼きそばを食べる際、あっと思って「ごっつの7巻」を用意して再生しながら食べるが、当時の味とはまるで違うことに毎度驚く。製品改良で味が変わったのか、昔の味を間違って覚えているか、「初めての夜食」という思い出による補正がかかっているのか、理由はいまいちわからない。

回転寿司で8皿食べて会計ボタンを押してレジに向かうと、レジ前の待合は空席を待つ大量の家族で溢れていた。レジには会計業務と空席アナウンスを一手に任された年配のおばさんが一人アップアップしていた。864円の請求額が書かれた紙をおばさんに渡し、万札一枚と64円の小銭を渡した。お釣りは9,200円だ。おばさんがレジスターから紙幣を取り出し、おれの眼の前で数える。「五千円札が一枚と、六、七、八…」おばさんは八千円しか持っていなかった。「失礼いたしました」と真面目な顔でお詫びした後に、まるで親戚のオバちゃんのように「あ〜ぶないあぶない」と言ったので、思わず笑ってしまった。改めてレジスターから千円札を一枚取り出し、「大きいお釣りが九千円で、おあと二百円…」といっておばさんが渡してきた小銭は二十円だった。「失礼いたしました」と真面目な顔でお詫びした後に、沈んだ声で「今日、だ〜めだわアタシ…ゴメンなさい」と言った。休日の夜、一番混む時間帯に会計業務と空席アナウンスをワンオペでやるのはかなりしんどいのだろう。おれも「いえ、お疲れでしょうから」とわけのわからないフォローを入れてみたら、おばさんは声をあげて笑ってくれた。

昼の飛田新地は大半の店が閉まっているが、営業中のお店もちらほらある。明るいうちに店の中から婆に「見て見て〜」と呼び込みされるのが新鮮だった。通りを歩きながら、ライティングされた店内を覗き込むと、中は「①婆と嬢」「②婆のみ」「③嬢のみ」「④誰もいない」の4パターンに分けられる。①のパターンは二人が座っていて、婆が距離のあるうちから大きな声で通行人を呼び止める。初見の客に対してはとても社交的で「見てって見てって、かわいいよかわいいよ」と笑顔で話しかけてくるが、2度目に店の前を通ると「迷ってないで決めな〜」と、言葉は優しいものの若干不穏なオーラを出してくる。3度目には顔を覚えられ、いよいよ「あんたら何ウロウロしとんの」と窘めてくる。しまいには二人で歩いている我々に「別々に歩きいや」と、行動パターンにまで口を出してくるので笑ってしまった。婆が社交的なうちに飛田新地を一周するには、一筆書きですべての道を回れるルートを開発する必要がある。②のパターン「婆しかいない場合」は、嬢が接客に出ているため呼び込みも何もあったもんじゃない。だから中を覗いたところで何も話してはくれないし、こちらの視線なんか無視して、老眼鏡かけて数独なんかやってたりする。③のように婆がいない場合、嬢は伏し目がちに挨拶してくるだけで何も起こらない。④は赤い部屋の中にぬいぐるみが置いてあるだけだった。
メイン通りと呼ばれる道は昼間でも多くの嬢が店に出ていて、道の両脇からひっきりなしに呼び込みの声が飛んでくる。脳の処理が追いつかない。左右を交互に見ながら駆け足で通り抜けようとしたところ、デビュー当時の井上和香のようなビキニの女性が網膜に一瞬だけ映り込んだような気がしたが、西成の路地裏に落ちていたグラビア雑誌の表紙がフラッシュバックしただけだと思う。