通勤ルートに、住宅街の生活道路を利用している。自宅から少し南に歩けば、駅まで続く一直線の幹線道路があるのだけれど、信号が多いことと人目を避けたいという理由で入り組んだ住宅街の細い路地を歩いて通勤している。あまり人の気配がないので気にいっているルートなのだが、ここ最近、夜に「野球少年」を見かけることが多くなった。最初に見たのは投球フォームの練習をしている後ろ姿だった。少年の自宅の門に備え付けられた小さいライトのもと、ボールを投げている姿がシルエットで浮かび上がった。こちらの存在に目もくれず一心不乱にボールを投げているように見えたのだが、すれ違いざま手元を見ると、その手には何も持っていなかった。入り組んだ路地でボールを投げると、手元が狂ってカミナリ親父の家に飛び込む可能性もあるので、無球で練習するのは致し方ないとは思うが、近づくまで「何かを投げている」と思いこんでいたので、無球であることに脳の処理がしばらく追いつかなかった。
その次に出会ったとき、少年はバットの素振りをしていた。自宅の門の小さいライトのもと、バットをブンブン振り回している。車が一台やっと通れるような細い路地でバットをブンブン振り回しているので非常に危ない。ヨッシーアイランドの「鉄球ヘイホー」を思い出した。前述の投球と同じく、おれの近づく姿は見えていないようだった。一心不乱に練習すると辺りの姿が見えなくなるのだろう。おれはわざと大きめの足音を出して近づきながら、別に喉がイガイガしてるわけでもないのに大袈裟に咳き込んでみた。すると少年はこちらの存在に気がついて素振りをやめた。汗を拭きながらバットを足元でぶらぶらさせて、こちらが通り過ぎるのをうつむいたままで待っている。この少年の前を通る時、「こんばんは」と声をかけてみたのだけど、軽く頷くだけで声は発してくれなかった。シャイな野球少年というだけでかなり好感を持つようになった。この日以降、四日に一回ぐらいのペースで投球or素振りに遭遇している。おれはその度に大地を踏みしめて大袈裟な咳き込みを繰り返してから挨拶をし、少年に軽く頷かれている。
朝に少年の家の前を通った時、門の向こうの玄関ドアに「生涯野球!!」と書かれた焼杉のプレートがぶら下がっているのが見えた。